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無言詣 〜古都 下

すいば100


うちには奇妙なものがある。

新聞の連載小説の切り抜きだ。



川端康成の『古都』。

昭和36年(1961)10月8日から翌1月23日まで、107回に渡り朝日新聞に連載された。

挿絵は小磯良平。ちなみに、作品連載中の11月3日に川端は文化勲章を授与された。

京都弁を井尻茂子の協力により補正され、同年6月25日に新潮社より単行本刊行。

翻訳版もドイツをはじめ、アメリカ、フランス、イタリアなど世界各国で出版された。


京都中京の呉服問屋の一人娘・佐田千重子は、両親に愛されて育ったが悩みがあった。

それは自分が捨て子ではないのかということだった。

5月のある日、千重子は友達の真砂子北山杉を見にいった。真砂子は北山丸太の加工の仕事をしている村娘の中に千重子に瓜二つの娘を見つけ、千重子に指し示した。

夏、祇園祭の夜、千重子は八坂神社御旅所で熱心に七度まいりをしている見覚えのある娘を見つめた。その娘も千重子に気づくと食い入るように見つめ、

「あんた、姉さんや、神さまのお引き合せどす」と涙を流した。

娘はあの北山杉の村娘で、名は苗子だった。

映画化は松竹の岩下志麻主演もあったが、前評判が異常に高かったのは1980年製作の市川崑監督の映画。山口百恵が二役で主演した引退記念作品であった。

ただでさえ「まるで宵山のよう」という京都特有の比喩があるほど人出の多い宵山に百恵ちゃんの御旅所のシーンを撮影すると噂が広がり収拾の付かないほど人で溢れ返った。

製作側もそれを見越して実際には撮影所のセットで撮られました。


引退から40年も経つんですか。

今年5月には山口百恵のサブスクリプション(定額配信)解除になりましたね。



小説も映画も創作ですから事実と異なる部分があります。

『古都』のクライマックスである「七度まいり」です。


これは「無言詣(むごんまいり)」という風習のアレンジだと思います。


神幸祭がおこなわれる17日の夜から、還幸祭の24日まで、祇園の神は神輿に乗り鴨川を渡り、四条御旅所で七夜の間安置されます。

その御旅所前では、お座敷が跳ね浴衣姿の舞妓や芸妓が神輿に手を合わせている姿を目にします。これは「無言詣」という願掛けが始まっているのです。


元々、祇園の舞妓・芸妓が神輿同様、鴨川を渡り七日七夜、無言で参詣する願掛けの習わしで、それが一般にも広まりました。神幸祭の日から還幸祭の夕方に御旅所から神輿が八坂神社に戻られるまで七夜しかない。毎晩通わねば七日七夜にならない。

初日に出遅れれば、もう後はない。

お詣りの途中で口をきいてしまうと、せっかくの願いが叶わないといわれます。

そこから「無言詣」と呼ばれるのです。

また「無言」には、17日~24日のいずれかの一夜に「七回る」という説もあります



今年の祇園祭には武漢ウィルスの自粛で神輿渡御も山鉾巡幸もありません。

したがって神輿も無く無言詣もできません。居祭になります。


苦肉の策として今年の神幸祭は神輿でなく榊を白馬の背に立てた行列「御神霊渡御祭」。

約1150年の祇園祭史上で初めてという。


しょうがないので、小磯良平画伯の挿絵でもじっくり鑑賞することにしましょうか。

洋画家に『古都』の挿絵を依頼するとは面白い企画ですね。

映画もどうもこの挿絵の構図を大いに参考にされているようです。

ちなみに小磯良平画伯も1983年に文化勲章を授与されています。


今回でblogカテゴリー「すいば」は100本目になります。

撮った写真は新聞の切り抜きのみ。


異常な長雨の被害や武漢ウィルスの再拡大と未曾有の試練の年になりました。


なんとも今年らしい内容の100回記念になったものです。



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