当主
一条戻り橋
すいば85

戻橋は平安京の北端、一條大路にあり、大内裏の鬼門にあたることから鬼が出入りすると云われていました。現世と魔界を結ぶ橋と考えられていたのです。


そのため数多の伝説があり、今なお京都人は験(げん)を担いでいます。
婚礼の行列はこの橋を通りません。「出戻り」を嫌うためです。
霊柩車もこの橋を通りません。安らかにあの世へ送りたい気持ちからです。
戦時中は兵士が出征する前にこの橋を渡り、無事に戻れるようにと願いました。

「戻橋」の名の由来は、こう伝わります。
「撰集抄」巻七に、延喜18年(918年)12月、漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞き熊野で修行中の子・浄蔵が馳せ参じ柩にすがって祈ると法力が届き、父は一時的に冥府からこの世へ戻ることを許されたという。

「剣巻」には、こんな伝説も残る。
源頼光の四天王の渡辺綱が深夜に戻橋東詰で美しい女性と出逢う。
女は夜も更けて恐ろしいので家まで送り届けてほしいと頼む。
綱は水面に映る影で鬼女だとさとり、鬼女の片腕を切り落としたという。
腕は綱の屋敷に置かれていたが、綱の義母に化けた鬼が取り戻した。
有名な伝説です。

橋を渡りほんの少し東に行くと応仁の乱の勃発地で、この辺りは一番の焼け野原になった地です。
秀吉の命で切腹した茶人・千利休の首がさらされたのも、ここでした。

おどろおどろしい伝説が多いのも、戻橋が京の鬼門だったためでしょうか。
陰陽師・安部晴明がこの地に住んだのも鬼門の守護のためだったのでしょうか。
このちっぽけな橋が数多の伝説の舞台になったとは俄かに信じ難い気がします。
それにしても桜が美しすぎます。

見頃の極めて短い花なのに有史以前から日本に自生していたと云う桜。
人間界の奇々怪々な出来事も儚き夢とその美の中に覆い込んでしまう桜。
どんな出来事も知らん顔してまた次の年咲き誇る桜。

現在、一条通の東の突当りは京都御所。
御所が現在地に移り、京都のメインストリートは御所西の烏丸通に変わりました。
ここは上京区で、北に北区、東に左京区と伸び、今や京都の果てではないです。
室町時代の花の御所も、西陣も、千家さんも、これより北に位置します。
あ、そうそう!
今日は母の93回目の誕生日でした。
これがBlog100本目の記事になりました。
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