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幻の大塔

すいば65


世に「洛中洛外図屏風」なる屏風が数多現存します。




帯の文様にも度々登場するこの屏風は、鳥瞰図(ちょうかんず)になっています。

屏風の下方に描かれた場所が近くで上方に描かれた場所が遠くになる構図。

これは一体何処からの眺めでしょう。

御所?

いえいえ御所は屏風の中に描かれているので違います。


「洛中洛外図屏風」は相国寺の七重の大塔からの眺めと云われています。

「大日本史料」に応永6年(1399)9月15日、7年がかりで大塔ついに完成。塔の高さは360尺(109m)とあります。

足利義満は、一千名の僧侶をひきつれて完成式典を主催し、塔上から花をまいたり、舞を奉納したりと盛大な式典を行うとあります。




当時一番偉かった僧侶・瑞渓周鳳が塔に上った感動を詠んだ詩。


「塔上晩望」


七級浮図洛北東 

登臨縹渺歩晴空

相輪一半斜陽影 

人語鈴声湧晩風


(七重の塔は京の北西に建ち

塔に上ると蒼天を歩いてるようだ

夕陽をあびた塔の先端がはるか下に影を落としている

下界の人の声や鈴の音が風に乗って湧き上がってくる)





「相国」という意味は、木の上に登って国中を見渡し治める意味で、宰相のこと。

中国からきた名称ですが日本でも左大臣の位を相国と呼んでいました。

相国寺を創建した義満は左大臣であり、相国であることから、義満のお寺は相国寺と名付けられました。

永徳2年(1382)、室町幕府3代将軍・足利義満は、花の御所の隣接地に一大禅宗伽藍を建立することを発願。竣工したのは10年後の明徳3年(1392年)であった。

室町幕府の我が世の春の象徴がこの七重の大塔だったのでしょう。

この塔は8年後に落雷により焼失してしまいます。

いろんな文献に登場するのに遺物が出土しないのが「幻」たる所以です。


『相国寺塔供養記』に「門の内にいりて見れば、七重のいらかかさなりて、四面のとびら、たるきの彩色、夜めにもかゞやくばかりなり」とあるので甍 の屋根、つまり瓦葺と考えられます。しかし、周辺から沢山の 瓦が見つかったという報告はあり ません。

もしかしたら瓦葺のような屋根を木で作った木瓦葺という仮説が成り立つわけです。

木瓦葺の代表は中尊 寺金色堂〔天治元年(1124)で、その屋根は一見すると瓦葺のようで実は木でできています。


唯一、遺物と言いましょうか、京都御所北東に「塔之段町」という地名が残っています。



この時期、もう一つのクイズが浮かびます。

お盆の五山の送り火・大文字は一体何処に向けて点っているのでしょうか?


「御所」と答えたいところですが、これもまた違います。

これも、相国寺の七重の大塔に向かっていたと言われています。

どうりでこの辺りの賀茂川の橋は大文字を観ようと数多の見物客が集まっていますよね。



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