• 当主

すいば31

 葵祭は、わが国最古の祭です。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭で、正式名称を「賀茂祭」と言います。

長く国家行事とされ平安貴族の「祭」はこの祭を指すというほど。

旧暦四月の中酉の日の祭を新暦に当てはめると5月15日になるのだそうです。

 祭の飾りに使う12000枚といわれる大量の葵は総て本物という徹底振り。

斎王代はもとより祭儀に携わる人、お道具、牛馬までもに葵 と 桂 の枝をつけることから、葵祭 と呼ばれるようになったそうです。


「葵」は「あふひ」と書き、神に逢う日という意味です。


飛鳥時代に始まり平安遷都後、嵯峨天皇は最愛の姫君・有智子内親王を賀茂の社に奉仕させ一身を神に捧げた内親王を斎王とし賀茂祭になったという。


『源氏物語』の『車争い』はこの祭見物で起きた事件。

「葵の巻」で賀茂の斎院の御禊の行列に加わった光源氏の姿を見ようとひしめく群衆の中、葵の上の一行と六条御息所の一行とが、牛車の置き場所を巡って争いをおこすシーンです。

葵の上は物の怪に憑かれたかのように亡くなる。巷では車争いで辱めを受けた御息所の生霊ではないかと噂が立ち、それを耳にした御息所は苦悶するというお話です。

 櫟谷七野社(いちいたにななのやしろ) が斎院跡と伝わる。 150m四方を占めていたといわれる斎院は, 加茂社(上賀茂神社)の領地でした。

「洛中洛外図」にも七野社は見える。

昨年で打ち切られたのが悔やまれますが、葵祭に先立ち、毎年その年の斎王代が七野社に斎王代になった報告をし献茶されていました。

七野社の由来は、船岡山山麓一帯にあった原野、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野の氏神をお祀りしているところから来ています。

 京都には衰退し歴史の中に埋もれてしまう史跡も多い。

数十年ぶりに七野社に足を向けた。

神主不在になって久しい。 子供の頃、境内でよく遊んだものだ。 蘇る当時の賑わいを重ね合わせる。


鬱蒼としていた大木の太い枝も切り払われ陽射しいっぱいの境内。

意外に掃除が行き届いていた。


会釈をしてくださる一組の老夫婦。

三度目の訪問だと仰った。 足を踏み入れることもなくなり疎遠になった神社。 葵祭の斎王のいらした御所の跡。


そして我が家は往時の斎院の側溝跡にあるようだ。


#葵 #葵祭 #上賀茂神社 #下鴨神社 #源氏物語 #斎王代 #葵桂 #車争い #櫟谷七野社 #斎院跡