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子子子子子子

すいば21


近所に摩訶不思議な場所がある。


銀行に行った時、ちょっと立ち寄ってみました。


自宅からも歩いて5分くらいです。

手抜きで申し訳ないんですが、みなさんの方が京名所はよくご存知だし^^;

 写真の文字が見えるでしょうか?

小野篁と紫式部の墓です。

紫式部はあの有名な世界最古の長編小説『源氏物語』の作者です。 文献によってほぼ位置が特定され、ここを墓所としたそうです。


小野篁-おののたかむら 平安初期の学者で詩人、歌人の小野篁(802~852年)は、小野妹子の子孫であり、小野小町や「三筆」の一人小野道風の祖父といわれ、当時の貴族としては珍しく剣術や弓術、乗馬など武芸に秀でていて、漢詩や歌も上手く、容姿端麗、身長は六尺二寸(188cm)!という、超がつくほどかっこいいプレイボーイだったといわれています。


 ここは島津製作所の敷地内にあり掃除はよくされています。

本当に狭いところです。 なのに時々人が訪れます。

 でも、この二人の古墳がどうして並んであるんだろうと思いませんか? 小野篁は、遣唐副使に任ぜられるが、正使藤原常嗣とのいさかいから、病気と称して職務を拒否したため、嵯峨上皇の怒りをかい隠岐に流されましたが二年後に許されて帰京。従三位参議に至った人。 ところが篁には奇怪な伝説が多く、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというあの世とこの世を行き来できた最近流行の陰陽師・安部清明も顔負けの霊験の持ち主であったという。 篁のものと伝えられる古墳の隣に紫式部の古墳がある由縁は、愛欲を描いた罪で地獄に落とされた式部を、篁が閻魔大王にとりなしたという伝説に基づくものだそうです。


 今は昔で始まる『今昔物語』と並ぶ有名な説話集 『宇治拾遺物語』

「小野篁広才の事」というお話の内容をご紹介しましょう。 今は昔、嵯峨天皇の御代(みよ)、小野篁という人がいました。 「無悪善」と書かれた札が、何者かにより内裏に立てられました。 嵯峨天皇は、漢籍に優れている小野篁を早速呼び出しました。 嵯峨天皇が「これを読め」と言うので、篁は答えました。 「読むことは読みましょう。しかし畏れ多いことですので、あえて申し上げますまい。」 それを聞いて天皇は仰せになりました。 「かまわず申せ。」 しかたなく、篁は答えました。 「さがなくてよからん」 「すなわち、御君を呪い申しているのです。」 「悪」という文字は「さが」という読みがあるので、 篁は、「悪」は「嵯峨」を表していると考えたのです。 無悪善、すなわち、悪(嵯峨)無(なくて)善(よからん) 篁の答えを聞いた嵯峨天皇が言いました。 「お前以外に誰が書こうか。」 「それだから申し上げますまいと申したのです。」 篁がそう答えると、天皇は 「それでは何でも書いたものなら読めるというのだな。」 「何でもお読み申し上げます。」 篁は答えました。 すると天皇は「子」という文字を十二個書いて、「これを読め」と仰せになりました。

子子子子子子 子子子子子子 篁は、読みました。 「猫の子、子猫、獅子の子、子獅子」 「子」の読みは、音が「シ」、訓が「コ」と「ネ」だからです。 これを聞いた嵯峨天皇は微笑み、篁は何のおとがめもなくすんだのでした。

 我が家の紅枝垂もとうとう満開。


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