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京都インクライン物語

すいば127


船が山を登ってる!

明治24年生まれの祖母が語ってくれた。

棹もささずに登る三十石船に当時の京都人は目を見張った。

電力操縦だったのです。

やがて街には電灯がともり明治28年には京都に日本初の電車が走った。


千年の都の地位を奪われ衰頽した京都にとり水力発電は起死回生の大きな原動力となる。

国家予算7千万円、内務省土木費総額百万円の時代に琵琶湖疏水は125万円を費やす。


琵琶湖の水を京都に引き込む琵琶湖疏水事業の一環として、インクラインは水運発展のため1890年に造られ、西洋技術者に頼らず日本人だけで成しえた日本初の大事業だった。

この事業の一番の功労者は、田邊朔郎という二十歳そこそこの青年技術者だった。


蹴上から九条山にかけての582mの世界最長の傾斜鉄道(インクライン)は、高低差36mという急勾配による技術的難題を、この傾斜鉄道にて解決し、琵琶湖から京都、そして淀川への水運を開いた。船運の衰頽とともに1948(昭和23)年に役割を終え、現在その廃線跡は京都市の文化財に指定される。



ここのところ京都、いや日本、いや世界中に忌まわしい出来事が起こっています。

一昨日深夜の地震も珍しく京都が震源地だ。

世界流行している病原菌や侵略戦争等、歴史も大きく変換する時期なのかもしれません。


私の若かった頃の1983年、

京都出身のある作家の小説と出会った。


感動したのでファンレターを書いた。

何度かのやり取りの後、お会いする機会に恵まれた。田村喜子氏。

生来、読書が苦手な私も俄に数冊読む。


首都が東京に移り衰頽する京都を救った人を取り上げた小説ばかり。


西陣織は紋織物で、ジャカードという器械をフランスから日本に初輸入したのは京都。

「海底の機(うなぞこのはた)」という小説がそのお話だ。

偉業を成した人物はどなたもお若い頃。じっとしておれないと刺激を受けた私はジャカードのルーツ・フランスのリヨンへ飛んだ。



いよいよ昔を懐かしむ老境に入った私は、明日の雨で散る前の桜を見に蹴上(けあげ)のインクラインを選んだ。

蔓延防止も済み、すごい人出だった。


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