なりひら桜

すいば87 武漢ウィルスは治るところを知らない今日、三寒四温も桁外れです。 先日は高野山がドカ雪で、今日の東京も桜に雪降り。 田舎の山なのに「なにわ」「所沢」なんてクルマも停まってたり、結構な見物客。 山門をくぐり、屋根からあふれんばかりの桜には見入ってしまいます。 平安初期の歌人で六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)が晩年隠棲した寺。 洛西は小塩山(おしおやま)麓にある十輪寺。なりひら寺とも呼ばれています。 本堂の隣には高廊下・業平御殿・茶室に囲まれた小さな庭が続きます。 本堂に向かう少しずつの上りは心の高まりと呼応し庭を大きく見せる演出でもあります。 庭が造られた江戸時代、公家は財力乏しく豪華な庭園を造ることが叶いませんでした。 それでも藤原の公家たちは、小さな空間の見方を変えることで様々に楽しむ考案をした。 中庭の枝垂桜「なりひら桜」は樹齢200年。 立って観るも良し。 座って観るも良し。 寝て観るも良し。 その名も「三方普感(さんぽうふかん)の庭」。 「普感」とは仏の遍万している大宇宙を感じることだそうです。 高廊下から天上界、茶室から現実世界、業平御殿から極楽浄土と三つの世界に見立てる。 業平御殿より見上げれば、庭を覆うように桜が咲き誇り、まるで天蓋のよう。 座って眺めていると、空から差し込む陽の光で煌めく桜や、庭にはらはらと舞い散る桜など、その一瞬一瞬が見逃せません。 さらに、裏山から見下ろせば庭をふんわりと包み込む様子を間近でうかがうこともできる。 向こうの山にも山桜が見える。 一本の桜で百の華やかを想わせる究極の美を魅せる工夫、とても素敵です。 世の中に

冷泉家

すいば86 「奇遇」、思いもかけぬ出会いです。 今朝、用事で今出川通を東に歩いていると、通勤の人らしき数人のマスクとすれ違った。 人通りは少なく、しかも皆コロナマスク。 御所の向かいに見頃の桜が美しかった。 冷泉さんのお邸(やしき)だった。 懐かしい思いでしばらく花見させて頂いた。植木屋さんが入っていた。 今となっては遠い昔、「冷泉家」の図録が欲しかったことがあった。 無性に手に入れたくなるのが人情。 見つけた「財団法人冷泉家時雨亭文庫」。 〜どうすれば手に入るか尋ねてみよ〜 電話したら、手元に若干あるとのこと。  で早速、伺いますと伝えると、 ー場所は知ったはる? ーはい。今出川通の同志社の、 たぶん西の方の何処かの門 と答えると ー工事中で入り口が分かりにくいけど、 黄色と黒の斜めの線の上半分が網に なったところから入ってきて。 インターフォンも無いので 勝手に入ってきて。 と仰るので ーわかりました と答えて出向いた。 出町の地下駐車場に車を停め歩くうちに、かえって工事のガードフェンスが目印になって簡単に見つけ出せた。 工事中なので本来のご立派な門も無い。 電話は気楽でも、目前まで辿り着くと俄かに腹具合が・・・・・・極度の緊張。 かつて京都御苑一帯には築地塀を連ねた公家屋敷がありました。 豊臣秀吉の都市政策で、公家屋敷を御苑周辺に集中させたのです。 藤原定家の孫・為相(ためすけ)を祖とし「和歌の家」として 800年の歴史を持つ冷泉家が御所周りに居を構えたのは1609 年 。 東京遷都で公家は東京に移り住んでも、冷泉家は留守番役として京に残った。 邸(やしき)はほぼ完全な姿

一条戻り橋

すいば85 一条の堀川に架かる短い橋があります。 これが一條戻橋です。 平安遷都以来、同じ位置にあります。 戻橋は平安京の北端、一條大路にあり、大内裏の鬼門にあたることから鬼が出入りすると云われていました。現世と魔界を結ぶ橋と考えられていたのです。 そのため数多の伝説があり、今なお京都人は験(げん)を担いでいます。 婚礼の行列はこの橋を通りません。「出戻り」を嫌うためです。 霊柩車もこの橋を通りません。安らかにあの世へ送りたい気持ちからです。 戦時中は兵士が出征する前にこの橋を渡り、無事に戻れるようにと願いました。 「戻橋」の名の由来は、こう伝わります。 「撰集抄」巻七に、延喜18年(918年)12月、漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞き熊野で修行中の子・浄蔵が馳せ参じ柩にすがって祈ると法力が届き、父は一時的に冥府からこの世へ戻ることを許されたという。 「剣巻」には、こんな伝説も残る。 源頼光の四天王の渡辺綱が深夜に戻橋東詰で美しい女性と出逢う。 女は夜も更けて恐ろしいので家まで送り届けてほしいと頼む。 綱は水面に映る影で鬼女だとさとり、鬼女の片腕を切り落としたという。 腕は綱の屋敷に置かれていたが、綱の義母に化けた鬼が取り戻した。 有名な伝説です。 橋を渡りほんの少し東に行くと応仁の乱の勃発地で、この辺りは一番の焼け野原になった地です。 秀吉の命で切腹した茶人・千利休の首がさらされたのも、ここでした。 おどろおどろしい伝説が多いのも、戻橋が京の鬼門だったためでしょうか。 陰陽師・安部晴明がこの地に住んだのも鬼門の守護のためだったのでしょうか。 このちっぽけな橋