春はあけぼの

すいば84 春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際 すこしあかりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる 春は夜がほのぼのと明けようとする頃がよろしいようで。 陽が昇るにつれだんだんと白んでいく山際の辺りが 少し明るくなって、 紫がかっている雲が横に長く引いている様子がよろしい。 清少納言「枕草子 第一段」の冒頭です。 また「第一五一段」には、 うつくしきもの 瓜にかきたるちごの顔 <中略> 雛の調度 蓮の浮葉のいとちひさきを 池よりとりあげたる 葵のいとちひさき なにもなにも ちひさきものはみなうつくし かわいらしいもの 瓜にかいてある幼い子どもの顔。 <中略> 雛人形の道具。 蓮の浮き葉でとても小さいのを池から取り上げたもの。 葵のとても小さいもの。 なにもかも小さいものはみなかわいい。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ うつくしとは可愛い、愛らしいの意です。 「雛」とは「ひいな」と読み「小さくて可愛いもの」の意で、 平安時代の宮廷では幼い姫君や女性たちは男女一対の「ひいな」に調度品を加えた人形遊びに興じていたものを「上巳の節句」と重なり「ひいな祭」になったものらしいです。 清少納言は随筆というものを日本で初めて書いたひとです。 「随筆」という文学形態は日本独自のものです。 そういった文学形態を生み出した日本は誇るべきかもしれませんね。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ この頃、夜明けの時間が早まりました。 新型コロナウィルスで休校とか。 通っていた高校も卒業式を金曜に敢行していました。 地球の環境が最近とても変です。 不要不急でない外出まで控えだしたら 経済はもう大打撃で

椿

すいば83 「曲水の宴」で有名な城南宮は、平安京遷都に際し都の安泰と国の守護を願い創建された京でも殊に雅で美しいお宮です。平安城の南に鎮まるお宮という意味です。 方除・厄除の神様なので、お祓いを受け「城南宮」の貼札のある車が街中を行き交う。 神苑は、『源氏物語』に描かれた80種あまりの草木が植栽されており、 今年は 例年より2週間も早く150本の枝垂梅が 淡紅色や紅白の花を装い、300本の椿も次々に花開きます。 参道には境内でのみ限定販売の白玉椿に似せた椿餅も出店されていました。 源氏物語のあの話を想い起こす。 ゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚*❋⁎❈*゚ 源氏物語 巻三十四 若菜 上 きらきら椿の葉が、ぬれたような光を耀(かがよ)わせていた。 日々をもて余す源氏は六条院に夕霧、柏木たちを蹴鞠に誘った。 身分の高いものが遊ぶ競技でもないので 夕霧と柏木は熱中もできず腰を下ろし、ふと女三宮のほうの御殿を見ると小さく可愛い唐猫が大猫に追われ、繋がれた綱を物にひっかけ御簾(みす)を持ち上げてしまった。 そこには内親王ともあろう方が袿姿(うちぎすがた)で立ったまま男たちの蹴鞠を覗いていらっしゃるのを二人は見てしまった。 柏木は源氏から女三宮を引き受けることができるようにと、未だに独身をとおしている。 蹴鞠の後はいつものように椿餅(つばいもちい)が出た。 (餅米を乾燥させ臼でひいた道明寺粉を甘葛の汁で練って団子にし、椿の葉で包んだもので和菓子の起源と考えられる) 邪悪を去る祈りを持つ椿、その葉で包む椿餅を口にもしない柏木。 だが女三宮が歳に応じた知能の発達がないと説明

親子丼〜鳥岩楼

すいば82 西陣で鶏の水炊きといえば、ここ鳥岩楼。 五辻通を智恵光院から西へ入った所。 創業は祇園だそうで、昭和20年に移転されてからずっとこちらで営業しています。 看板からも歴史を感じます。 がしかし最近、「ランチ」という時流に乗ったことを始めて大成功されています。 正午~2時はメニューが親子丼限定というのに平日でもすんごい行列。 老舗のなのに! 西陣なのに!リーズナブル! 店内へ入ると流石に西陣の老舗を語るものがいっぱい。 中庭を廻って離れの二階が全室襖が外されていました。もちろん満席。 想像していたよりやや小ぶりな器。 鳥スープは水炊きに使われているもの。 七味でなく、うどんですら山椒をかける。これが京風。 カロリーがあるせいでしょうか、満腹になります。 #鳥岩楼 #親子丼 #山椒

壬生狂言〜節分

すいば 81 旧暦の大晦日である節分。 節分とは、季節を分けるという意味で、 立春・立夏・立秋・立冬の年4回あったのが現在は2月3日だけが残ったものです。 立春を年の始めと考えていたからです。 鬼とは、『隠(おぬ)』という言葉が由来と考えられています。 「姿が無く、この世の物ではない」 目に見えない空恐ろしい『邪気』を追い払うという考えが、邪気を鬼のイメージにしていき、人に災いをもたらすシンボルを鬼と考えられるようになっていったようです。 京には御所の四方の鬼門を護る四つの寺社があり、これをお詣りすることを「 四方詣り(よもまいり)」と言い、千年も前から伝わる行事です。 節分の夜、邪気(鬼)はまず、北東の表鬼門にあたる「吉田神社」に現れ、吉田神社を追われ、次に南東の「八坂神社」、南西の裏鬼門「壬生寺」、そして最後に北西の「北野天満宮」まで逃げてきて、北野天満宮の福部社の中に閉じ込められるそうです。 邪気を払い福を招く「四方詣り」をして、新年を迎えてみては如何でしょう。 今年は壬生狂言をご紹介しましょう。 壬生寺は、四条通から人が大勢いるので壬生寺通を知らなくてもすぐに判ります。 嵐電の踏切を、も少し下がります。露天商がたくさん出ています。 京福電鉄も市バスも係員を出しています。 「壬生」と書いて「みぶ」と読みますが、「太秦」同様に読める人が多いのは新選組ゆかりの地だからでしょうか。 壬生寺は想像より大きなお寺でした。 参道には素焼きの炮烙(ほうらく)の奉納受付が数カ所あります。ここ独特です。 聖護院山伏衆の護摩木焚きの時間と重なり、入替え制の狂言を待つ行列に、煙と灰をモロに被り