四条の東の果て〜白朮詣り

すいば78 大晦日、除夜の鐘をききながら祇園さんに白朮詣りに・・・ 京都の伝統的な年越しのスタイルです。 「白朮詣り」と書いて「をけらまいり」と読みます。 この風習は京都人ならみな知るところで、古くから京に伝わる正月迎えの行事です。 除夜祭の行なわれた後、境内三ヶ所の「白朮灯籠」に「白朮火」を移します。 白朮の根は火で燃やすと臭いが強いので、疫神を追い払うと考えたようです。 御神火である白朮火を参拝者は火縄に移し、火が消えないよう回しながら自宅に持ち帰る。 普通の縄だとすぐ消えたり振り回すとちぎれてしまうので、吉兆縄は竹で編んだ長さ約180センチでできています。持ち帰った火は新年の無病息災を願い神棚に灯し雑煮を炊きます。 火を移した後の縄は「火伏せのお守り」として、台所に祀っておきます。 「白朮」は山野に生えるキク科の多年草で、かつては京都市周辺の山麓に広く自生して、大原女(おはらめ)が売り歩いたと言われます。 古名をウケラといい万葉集にも 恋ひしけば 袖も振らむを 武蔵野の ウケラが花の色に出なゆめ など、おけらの歌がいくつかあります。 余談ですが、白朮詣りは昔は「悪口祭」の別名がありました。 井原西鶴の『世間胸算用』にも登場しています。第4巻の「闇の夜の悪口」によると、大晦日の夜に、八坂神社の境内に大勢が集まり、左右に分かれて、神前の燈火を暗くし、悪口を言い合い、笑い合う風習が大正はじめまであったそうです。 おのれは、三ケ日の内に餅が喉につまって鳥辺野へ葬礼するわいやい などと言いあっていたそうです。 八坂神社の参道であるため、四条は大勢の参拝者で埋めつくされます。 大晦日

大根焚き

すいば77 ここんとこ、すっかり冷えますね。 京都では「底冷え」なんて表現され、足元から体の芯まで冷える、寒いというより痛い、冷たい、キーンとする感覚のことです。 底冷えの定義も無く、あくまで肌感覚です。 京都は山に囲まれた盆地のため、地面に近いところにたまった冷気に逃げ場がなくなり、足元から冷えるのでしょうね。 「大根焚き」と書いて「だいこだき」と呼びます。 大根焚きが行われると、京都に冬が到来したと京都人は思います。 千本釈迦堂では、毎年12月7日と8日に大根焚きが行われます。 始まりは鎌倉時代まで遡り、茲禅上人が大根の切り口に梵字を書いて魔除けにしました。 それが千本釈迦堂の大根焚きのルーツです。今でも、淀大根に梵字が書かれています。 「大根」は古く古事記に登場し、解毒作用や中風や諸病除けに効くとされたようです。 大根炊きは他の寺でも行われますが、中でも特に有名なのが千本釈迦堂。 京都の大根焚きの代名詞と言っていいほどです。 加持祈祷されて梵字が書かれた大根を巨大な釜で煮込んだものが接待されます。千本釈迦堂では、太く切られた煮込まれた大根が三つに油揚げがのっています。 梵字入りが当たるとは縁起がいいかも 大根焚きは元々お釈迦様が悟りを開いたことを喜び、感謝する行事でした。 時代を経るとお釈迦様が悟りを開いた12月8日頃に大根焚きを仏前に供え、参拝者に振る舞う行事に変わっていったようです。 大きな鍋で大根を油揚げとともに醤油で煮込んだ大根焚きは、お出汁が効いていて優しい味がします。 #大根焚き #だいこだき #お釈迦様 #千本釈迦堂

瓦土塀〜大徳寺

すいば76 京都ではモミジと言えば必ず紅葉である。 私の通っていた高校の正門真向かいの銀杏はいつも見事だと思っていた。 今宮神社参道になるのだけど、大徳寺の西の塀である。 東北では初雪の便りが来る時期、京都は紅葉の真っ盛りです。 今年もたくさん紅葉を見ていますが、今回は敢えて銀杏の黄葉を。 東山魁夷画伯が「京洛四季」という画集の中でも取り上げている大徳寺の瓦土塀。 普段は土塀の向こうに竹林しか見ていないのに、この時期だけは銀杏が主役です。 昭和40年代、当時の大徳寺の修行僧により2年がかりで修行の合間に施行されたとか。。。 基礎工事及び屋根瓦は、専門の職人の手によるものですが、古瓦を使った土塀は修行僧の力作だそうです。 それは私が向かいの高校に通っていた時期に当たるのですが、まるで記憶に無い遠い昔。 当時の大徳寺の塀って、それほど素敵でなかったような。。。。 それとも当時の若者は三無主義、無気力・無責任・無関心の時代であったせいでしょうか? #大徳寺 #瓦土塀 #京洛の四季 #京洛四季 #黄葉