リラの花咲く頃

すいば53 今年も鉢植えのリラがまた咲いた。 また、この唄を思い出す。 タカラヅカレビューのスタイルを創り、 レビューの王様と呼ばれた白井鐵造という宝塚歌劇団演出家がいた。 1928年、宝塚歌劇団創始者小林一三(松岡修造さんの母方の祖父)の命により レビューの本場パリへ渡欧。 本場のレビューに圧倒された白井は約2年間の修業を積み、1930年、帰国後第1作に『パリゼット』を発表。 全20場・上演時間1時間半の大作で、ダチョウの羽根扇、タップダンス。 それまでは白塗りだった舞台メイクがドーランになり、 足を高く挙げる振付のラインダンスなどが日本に初登場した。 白井はパリ滞在中、ある歌を大いに気に入り日本に持ち帰り、自ら日本語詞をつけて、 昭和5年(1930)上演の『パリ・ゼット』の主題歌として使った。 原曲はドイツの作曲家フランツ・デーレが1928年に発表した “Wenn der weiße Flieder wieder blüht”。 作詞者は「奥様お手をどうぞ」のフリッツ・ロッター。 ドイツ語圏での大ヒットを受けて、 翌1929年、フランス語の歌詞をつけてパリの劇場で歌われた。 これがシャンソンとして知られる“Quand refleuriront les lilas blancs”(白いリラがまた花咲くとき)だ。 当時はまだ、一般的には淡い紫色のリラが日本人にはあまりなじみがなく、 日本にある何か紫色の花はないかと模索して見いだしたのがすみれ。 「すみれの花咲く頃」はこうして誕生した。 以後、この歌は宝塚のシンボルソングとして、長く歌

六の宮の姫君

すいば52 とうとう今日は桜流しの雨になるという予報でしたが雨の前にと思い出かけました。 六孫王神社です。 鳥居をくぐると石の太鼓橋があり盛りを過ぎた数多の桜の中に黄緑色の鬱金桜だけは満開。 姫君は六の宮にすんでいたが,両親と死別。乳母の世話で受領(ずりょう)の息子と結婚したが、夫は父の任地陸奥へいってしまう。貧窮の中で待ち続け、7,8年後に再会した途端に息たえる。 「今昔物語」のこのお話は、芥川竜之介「六の宮の姫君」,菊池寛「六宮姫君」の題材となった物語です。 この辺りが丁度 六の宮だと言われる。 5年経てば戻れると言って男は行ってしまい姫はまた独りになった。 5年経っても戻ってこない夫は、任地で結婚していた。 男からの仕送りも途絶え生活も困窮し、乳母はもう殿は戻ってこないからと、姫に新しい男を紹介しますが、姫は断ります。 「わたしはもう何も入らぬ。生きようとも死なうとも一つ事ぢや。・・・」 9年目の晩秋、男は帰京を果たす。 急ぎ訪れた六の宮は廃墟と化し、この時に至ってようやく男は姫君の追い込まれた状況を否応なしに理解した。翌日から男は姫の安否を尋ねて独り洛中を歩き回る。 夕暮れ時、雨宿りした朱雀門の軒下で、病に伏す女と年老いた尼を見つけ出すのであった。 尼が独り、破れた筵をまといながら不気味なほど痩せ枯れた女を介抱していた。 一目見ただけでも姫君だと知った。 女は破れ 莚の上に寝反りを打つと、苦しそうにこんな歌を詠んだ。 「たまくらのすきまの風もさむかりき、身はならわしのものにざりける」 (以前は隙間風も寒かったが、今はこのようにしていても 平気だ、もう習慣としてならされて

西陣聖天さん

すいば51 西陣聖天さん 京都は観光都市ですから「隠れ」なぞと称する形容は観光ガイドにしか存在しません。 今朝、歩いてすぐの西陣聖天(にしじんしょうてん)さんに行ってきました。 智恵光院通の西門から入り南門から出ました。 狭い敷地に桜もぎっしり人もぎっしり (*´ノ0`)゚ よく西陣らしい所って何処ですか? なんて尋ねられたりします。 昭和の昔は何処を歩いていても機音(ハタオト)がやかましかったし明治初期の建物だらけでしたが、来月には令和と元号も変わろうとする現在、静まり返っています。 ただ西陣らしい景観でよくTVに登場するのがこの辺りです。 私の記憶ではNHK BSプレミアムの「京都人の密かな愉しみ」で常盤貴子さんが立っていたのがこの土塀です。 そういえば、よくTVで見かける人もディレクターとカメラマンとともに黒紋付に茶の袴をお召しになって南門から入ってこられました。羽織はお召しになっておらず千家さんの前で出くわす男性のスタイルによく似ていました。お足がお悪いようですね。「歓喜桜」など多種ある桜を英語で解説なさるそうです。 正式な山号は北向山(ほっこうざん)名称は 雨宝院(うほういん)、821年、弘法大師の開基にして創建された真言宗泉涌寺派のお寺です。 弘法大師が嵯峨天皇の御脳平癒のために、玉体に御等身の歓喜天を一刀三礼し、祈願して霊験を発光させて以来、東寺とともに皇城鎮護として栄えた大伽藍だったそうです。 応仁の乱(1467年~77年)で堂宇荒廃してしまい、その後、天正年間(1573~93年)に再興され、現在の建物は天明の大火(天明8年・1788年)で鳥有(うゆう)に帰した

絶景かな

絶景かな 絶景かな 春の眺めを価(あたい)千金とは小せえたとえ この五右衛門が目からは 価万両何万両 ハテ うららかな 眺めじゃなァ・・・