禊ぞ夏のしるし

すいば34 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは  みそぎぞ 夏の しるしなりける 小倉百人一首の藤原家隆卿の有名な歌で、上賀茂神社境内のならの小川のほとりで行われる夏越の大祓(なごしのおおはらえ)が平安の昔から京都随一の夏越祓の行事であったと物語るに充分な内容であります。 と書かれた招待状が来た。 寄付していたからw 毎年六月三十日午後八時、夕闇迫る神苑に燃える篝火(かがりび)に照り映える緑陰のならの小川の辺に繰り広げられる荘厳にして優雅な祓いの神事である。 最近ほとんどの神社で夏越のお祓いが執り行われてるけど、ここが日本一古いのは事実。 大祓の行事は六月、十二月の晦日に行われるそうです。 夏越祓の神事の先は真夏が待っています。 夜の向こうは朝の訪れです。 自分だけそのままなのに今日とは全く別の明日になってたら? 眼に映る世界が全く違ってたら? 向こう側に興味津々だけど見るのが怖い、でも見てみたい。 最近、八百万の神にお祓いしていただきたい心境。 時は知らぬ顔して静かに過ぎ行き、今年も半分終わってしまったんですね。 そんなこと考えながらの今宵の夏越祓でした。 #ならの小川 #上賀茂神社 #夏越祓 #日本一古い

いかぐ生繭糸

お絹のお話 5 いかぐ生繭糸 生糸とは繭から糸を吹き出したものですが、繰糸(そうし)という作業はなかなか見る機会がありません。そこで京都市内から大原を抜け琵琶湖大橋を渡り琵琶湖の最北端まで行きました。 意外に早く着きます。 滋賀県伊香郡木之本町を社員全員で研修に出向きました。 まずは伊香具神社。 境内にある独鈷水(とっこすい)。 真白な生糸を挽くには賤ヶ岳から湧き出る名水が必須のようです。 そして夏秋の繭より弾力性に富んだ春繭(はるこ)。 それにこちらでは繭を乾燥させずに挽く「生繭(なままゆ)」。 座繰りという方法で繭から糸を挽き出していきます。 「手ぇ浸けとぉみ (o^<^)o 」 「 .....∑ヾ(;゚□゚)ノギャアアーー!!あぢぢ〜!! 」 そうです、鍋の中は80℃の熱湯です。 皆様が実践されることはお勧めできませんw 普通の生糸は7個ほどの繭から1本の生糸に挽くのですが、ここは太めの生糸を挽くため倍の数の繭から1本の生糸を引きます。 よく呉服の通の方でも織物に使う絹糸は繭1粒から出た糸だと思い違いをされていることが多いのですが、繭から初めて生糸になるこの時点で既に7〜15粒の繭から挽き出した糸を1本の生糸にするわけです。この1本づつ挽いた生糸を背後の部屋に揚げ返し(巻き上げ)ます。 ここまでの作業を「製糸」と呼び、初めて「生糸」が誕生するわけです。 ともあれ、動画でご覧いただいた方が臨場感が出ると思います。 #いかぐ生繭糸 #伊香具神社 #繰糸 #座繰り

碓氷製糸

お絹のお話 4 碓氷製糸 京都からすれば群馬県安中市という地は全く想像もできない遠い地です。 JRの駅を降り、ここがあの有名な「峠の釜飯」の駅だと知りました。 今回の見学は碓氷製糸さんのご案内によるものでした。 お昼には、その釜飯を戴きました。 養蚕農家から集まった繭はここに集まり「選繭」という作業にかかります。 「選繭(せんけん)」とはコンベア式のライトテーブルで行われます。 繭の不良品にはさまざまなパターンがあり大きくわけて、 (a) 繭糸がすぐ切れてしまう繭 (b) 繭糸がまとめて巻き上がってしまう繭 (c) 汚れている繭 です。 (a)は繭の外観に異常があるもの。玉繭といって2頭のカイコが中に入った繭。 (b)は繭層が軟らかく透けている繭。 (c) のパターンは他の汚れが繭層の表面に付いた「外部汚染繭」と、外観は普通だが内部でカイコが溶けて内面に付着した「内部汚染繭」があり、ライトテーブルがないと見つけにくいし、農家からの出荷した後に輸送等の振動でカイコの死体が崩れて汚染が顕在化する場合もあり、どうしても発見が遅れがちになります。 汚れた繭が混入すると生糸の白さが損なわれるため、ここで厳しくチェックしなければならない。 そのほか、繭の表面のシワが極度に不均一だったり、繭の上下が薄いというような、農家ではなかなか気がつかない不良繭の基準も製糸の現場にはある。選繭が終わった繭はふたたびコンベアに載せられて、繰糸場へと送られていくのです。 余談ですが、私の若い頃に角川映画が森村誠一の「人間の証明」が映画化されました。 小説にも映画にも西条八十の詩が登場します。 ぼくの帽子  

小石丸

お絹のお話 3 小石丸 群馬県安中市の白石様方に繭を見学に行った目的はもう一つあります。 「小石丸」という呼称を耳にされた方もいらっしゃるかと思います。 奈良時代から続く日本古来の在来種。 大正天皇の皇后である貞明皇后陛下がまだ皇太子妃だったころ、東京蚕業講習所(現・東京農工大学)を視察になられた際に献上された品種です。 貞明皇后陛下から香淳皇后陛下に引き継がれた小石丸のご養蚕は、やはり美智子皇后陛下にも受け継がれました。 現在も皇居内にある紅葉山御養蚕所で毎年春から初夏に「掃立て」「給桑(きゅうそう)」「上蔟(じょうぞく)」「繭かき」といったご養蚕の各作業をされておられるのです。 その小石丸ですが、極細繊維の糸を吐き、けば立ちが少ない上に糸の張りが強いという高品質のスグレモノ。 欠点としては、産卵数が少なく病気に弱いなど、飼育が難しい上、繭自体も小さく1つの繭から取れる糸は普通のカイコの繭の半分以下で多くて400~500m前後なのです。 小石丸はこういった欠点故に市場から姿を消して行くのですが、小石丸を有名にしたのは美智子皇后陛下の養蚕の儀式のお姿や、奈良時代の繭ということから正倉院裂(しょうそういんぎれ)の復元に小石丸の繭の下賜されていたり、外国からの貴賓に贈る絹織物として、また皇族方のお召し物やローブデコルテなどにご使用になっているということです。 こういった事実が一度は市場から姿を消した小石丸の復活に貢献しました。 小石丸は食欲の乏しい蚕で、給桑といって小石丸の上に桑の葉を敷き詰めて、小石丸が底から桑の葉を食べて上に上ってくるのを待つのですが、食欲が乏しくなかなか上に

すいば33 いよいよ梅雨入りしましたね。 近江八幡の水郷巡りをして楽しんだ。 近江牛のすき焼きを味わいながら。 川岸の蘆(あし)が独特の雰囲気を醸し出し舟遊びはなかなかのものだった。 谷崎潤一郎の小説に「蘆刈」というのがある。 「大和物語」に取材したものだ。 「アシ」は「悪し」に通じるので「善し=ヨシ」と呼ぶようになったのか? 一度、現実に 蘆を刈る情景を見たいと昔から切望していたのですが。。。。 タイムリーに訪れるって、かな~り難しいですね。 艸:;;;;;:艸:;;;;;:艸:;;;;;:艸:;;;;;:艸:;;;;;:艸:;;;;;:艸:;;;;;: 《大和物語 百四十八段》 摂津国難波(なにわ)に若い夫婦がいた。 身分は低くはなかったが貧窮の挙句、男は若い妻の貧しい姿を見るに忍びず、「汝は京に上って宮仕えをせよ」と言い再会を約束し二人は別れた。  妻は京の貴族の家に仕えることができたが、夫は消息不明。 そのうちに館の北の方が亡くなると、女は貴族の妻に迎えられた。 幸せな暮らしにも、別れた夫が気に掛かる。 あるとき難波のお祓いの帰りに別れた夫を捜しに出かけた。  難波のもと居た家は跡もなく捜しあぐねて日も暮れかかるころ、車の前を蘆刈の男が横切った。乞食のやうないでたちだったが別れた夫に似ている。 伴の者に男の蘆をすべて買い上げるよう言い、男を呼び寄せた。 近寄る男の顔は別れた夫に間違いなく、涙があふれ、男に暮せるだけの代金を与えた。 そのとき、車の下簾の陰から女の顔が男の目に入る。別れた妻である。 男は我が身の見窄らしさを惨めに

おこぼさま

お絹のお話 2 おこぼさま 私どもは「お絹」を製織する絹糸を購入するのは西陣にある「原糸商」。 通常「糸屋さん」からです。 「生糸」と「絹糸」の区別は通常、繭を鍋で煮て6~7個の繭から出る糸を1本にしたものを「生糸」、その1本の糸の太さを「中(なか)」と呼び一般的なものは21中や28中です。 生糸は弾力があり強いとはいえ、蚕が吐いた糸1本では織物は織れないということをご存知の方は少ないです。 私どもで使用する絹糸は、21/2諸、21/4片、21/6諸、28/2諸、21/36片が主です。 「諸(もろ)」とは諸撚り、「片」とは片撚りを意味し、撚り合せる職業を「撚糸屋」と呼びます。そして撚り合せた生糸を「絹糸」と呼びます。 だから通常、私どもは養蚕農家から直接生糸を購入したりはしません。 ここは群馬県安中市。 西陣の原糸商から紹介してもらい遥々来ました。 駅弁の王者「峠の釜めし」の本場だと初めて知りましたヨ(ᵔᵕᵔ˶) 養蚕農家の前に桑畑もありました。 趣のある木の階段で二階に上がるとたくさんの蚕。 生まれたての蚕は「けご」と呼ばれ、わずか1〜3mm程度の大きさしかありませんが、僅か25日間で1万倍の大きさに成長しています。25日間で1万倍の大きさに成長する生き物は蚕しかないそうです。 蚕のことを「おこぼさま」と呼び この辺りの養蚕農家では、昔は座敷で蚕を育てました。 家族は座敷を占領され廊下で寝かされたと聞きます。 蚕が繭を作る合図はオシッコを する時だと聞きました。オシッコ?( ゚Ω゚) 蚕のオシッコとは一生に一度っきりだと聞き納得しました。 そういえば、何か懐かしい匂いのすると