桜の樹の下には

すいば22 平安京のメインストリートは朱雀大路。 船岡山が正面に来るように決められた。 幅82mの大路で羅城門より北の内裏まであり、当時十数名ほどであった公卿だけが大路に面して門を作ることが許されたので、朱雀大路に面しては築地塀が続いたそうだ。 内裏より北の延長は千本通と呼んだ。 現代では嘗ての朱雀大路も千本通と呼ぶ。 古来、船岡山より西は蓮台野で、鳥辺野(とリベの)・化野(あだしの)と並び「京の三無常」と呼ばれる葬送地だった。 「千本通」の名の由来は 数多の卒塔婆(そとば)が立っていた通に由来する。 千本通を北へ向かう北大路手前に立派な寺がある。 ここ上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は、聖徳太子 の開基と伝わる古刹で、かつて千本通を挟み十二の塔頭(たっちゅう)があったことから千本十二坊と呼ばれる。 境内には源頼光の蜘蛛退治にまつわる蜘蛛塚や、空海の母の墓とされる大五輪塔「阿刀氏塔」がある。 が、観光寺でないのが好きだ。 桜の花があまりに見事で、 知る人ぞ知る桜の隠れ名所だ。 千本十二坊という場所柄だろうか ふと梶井基次郎の言ったことは正しかったような気もする。。。 桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。 何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。 俺はあの美しさが信じられないので、この二三日 不安だった。 しかしいま、やっとわかるときが来た。 桜の樹の下には屍体が埋まっている。 これは信じていいことだ。 Motojirō Kajii Underneath the Cherry T

子子子子子子

すいば21 近所に摩訶不思議な場所がある。 銀行に行った時、ちょっと立ち寄ってみました。 自宅からも歩いて5分くらいです。 手抜きで申し訳ないんですが、みなさんの方が京名所はよくご存知だし^^; 写真の文字が見えるでしょうか? 小野篁と紫式部の墓です。 紫式部はあの有名な世界最古の長編小説『源氏物語』の作者です。 文献によってほぼ位置が特定され、ここを墓所としたそうです。 小野篁-おののたかむら 平安初期の学者で詩人、歌人の小野篁(802~852年)は、小野妹子の子孫であり、小野小町や「三筆」の一人小野道風の祖父といわれ、当時の貴族としては珍しく剣術や弓術、乗馬など武芸に秀でていて、漢詩や歌も上手く、容姿端麗、身長は六尺二寸(188cm)!という、超がつくほどかっこいいプレイボーイだったといわれています。 ここは島津製作所の敷地内にあり掃除はよくされています。 本当に狭いところです。 なのに時々人が訪れます。 でも、この二人の古墳がどうして並んであるんだろうと思いませんか? 小野篁は、遣唐副使に任ぜられるが、正使藤原常嗣とのいさかいから、病気と称して職務を拒否したため、嵯峨上皇の怒りをかい隠岐に流されましたが二年後に許されて帰京。従三位参議に至った人。 ところが篁には奇怪な伝説が多く、夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというあの世とこの世を行き来できた最近流行の陰陽師・安部清明も顔負けの霊験の持ち主であったという。 篁のものと伝えられる古墳の隣に紫式部の古墳がある由縁は、愛欲を描いた罪で地獄に落とされた式部を、篁が閻

トンネルを抜けると

すいば20 トンネルを抜けると このところの陽気で京都は一気に桜満開です。 用事で京都府庁に立ち寄りました。 旧本館のアーチをくぐり中庭へ出たら桜の園でした。 明治37年(1904)12月20日に竣工し、昭和46年まで京都府庁の本館として、また、現在も執務室として使用される。 創建時の姿をとどめる現役の官公庁建物としては日本最古のものです。 平成16年(2004)12月10日に国の重要文化財に指定されました。 ルネサンス様式の建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形となっており西洋近世の大邸館を彷彿とさせる。 建物内部は和風の優れた技術が巧みに取り入れられ、内部意匠は建築より、むしろ工芸品の趣さえ感じられます。 仕事が終わり帰宅すると、我が家の紅枝垂れもほぼ満開。 月とのハーモニーもとてもよく映えていました。 #京都府庁旧本館 #紅枝垂れ #重要文化財 #日本最古 #桜

宮び

すいば19 『鄙(ひな)ぶ』の対義語が『都ぶ』。 『俚(さと)ぶ』の対義語が『宮ぶ』。 「田舎びる」とは反対の「都風なやんごとなき風情」の意で『雅(みやび)』の語源です。 「洛中洛外図屏風」というものをご存知かと思います。 六曲一双形式で右隻に京都東方面、左隻に京都西方面が鳥瞰図として描かれたものです。 このゑとの(近衛殿)と書かれた場所がある。 摂関家の筆頭である近衛家の屋敷。 近衛邸は、もと近衛室町の東にあったが、室町時代には上立売小川の東に所在した。 邸内の糸桜は有名で、足利義満もその苗を所望したと伝わる。屏風に、その糸桜も見える。 室町幕府の「花の御所」と呼ばれた庭の主役は近衛邸から譲られた糸桜であったという。 「糸桜」ってどんな桜なんだろか? 見つけましたヨ! 京都御苑、近衛邸跡近衛池のほとりに咲き誇っていました。 快晴の中、満開でした。 室町幕府の遺構は京都の街には今はもう何も存在しない。 歴史の多くは儚く消え去っても、糸桜は枝垂れなのに京都でも早咲き。 この生命力こそ「京都」のそして「宮び」の象徴ではないでしょうか。 #鄙ぶ #宮ぶ #洛中洛外図屏風 #近衛殿 #室町幕府 #糸桜 #花の御所 #桜 #京都御所 #京都御苑

カイコ

お絹のお話 1 カイコ 我が家では織りあがった帯を「お絹」と呼び、跨ごうとしても叱られました。 「お絹」を生業とする家だから当たり前のお話です。 「生糸」や「絹糸」の違いをご存知の一般人も少ないと思います。 私どもも製品についての説明や解説はよく致しますが、糸の説明からしますと製品説明まで到達しないものですから、まず製品になるまでの説明はしませんので、この場で少しづつ説明できればと思っております。 最初はカイコから始めましょう。 カイコは蝶や蛾の仲間で正式には「鱗翅目(りんしもく)カイコガ科に属する昆虫です。 標準和名を「カイコガ」と言い一般的には「カイコ」と呼んでいます。 カイコは幼虫の作る繭から生糸をとるため人が飼育している虫です。 野外には生息していません。 元々は5千年以上前、中国でクワコという野生の虫を飼い慣らし、品種改良を重ねて作り上げた虫です。 なぜならカイコの幼虫はほぼ移動せず餌は与えられるまでじっと待っているのです。 成虫になり羽があっても機能が退化しており飛べないのです。 つまりカイコは人が世話をしないと生きていけないので、世界最古の家畜とも言われます。 カイコの成虫は真白で美しいです。 羽はありますが、飛べません。 成虫になるとエサも食べません。 メスはオスよりも腹部が太く大型です。

京の敷居

すいば18 「しきたり」や「作法」と聞くだけで引く人も多い。 でもそれは、人と人とが暮らしていくための潤滑油の役目があるのです。 京都のお付き合いは、べったりとしたものではなく、自分を少し引いたところで相手を立てるところが他所とは異なるのです。  親しくなっても、奥座敷まで上がりこむということが京都にはない。  自分の領域をきっちりと守りながらお付き合いしているのです。 京都人の『お付き合いは敷居の上』 敷居の中に入れば厚かましくなり、外に出ていると水くさい人になる。 (例えだから本当は敷居を踏んではいけません) 入るでもなし、出るでもないといったところがよく、これが京風であり世界に誇る「都」の感性だと思います。 また、京都は秀吉の時代、家の間口(幅)で税を徴収したので俗にいう「うなぎの寝床」形式の間取りで、表座敷を陣取られると職人であろうが商家であろうが仕事ができなくなるのを心得ているべきなのです。 長い間の都で研ぎすまされた感性。 だから京都には風習・風俗・民族といった言葉が当てはまらない。 他家を訪問する場合、前記はちょっとした用事のとき、 別に座敷に通される重要な用事もあるわけです。 「京のお茶漬け」をご存知でしょ? 京言葉では「お茶」のことを「おぶ」と言い「お茶漬け」を「ぶぶ漬け」とも言います。 もう既に料理をお出ししているような大切なお客様が、「そろそろ失礼します」と言うと、 「ぶぶ漬けなと食べていっとくりゃす」 と家人から言われ、そのまま食べて帰ったら「図々しい」などと陰口をたたく京都人を皮肉る表現として誤解される

日本一古い

すいば17 日本一古いと言えばたいてい京都。 「西石垣」という通り名を読めるでしょうか? 「さいせき」と読みます。 四条大橋西詰の東華菜館の西から下がる細い抜け路地(ろうじ)のこと。 鴨川に面し西石垣に挟まれて建つのが北京料理・東華菜館。 その東華菜館に残る    というか現役の遺物がエレベーターだ。 1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。 格子形の蛇腹式内扉や時計針式の 昇降は運転手による手動式。 元々は矢尾政レストランという西洋料理店だったそうだ。 #西石垣 #東華菜館 #日本一古い

ロシアキャフェ

すいば16 ずいぶん暖かくなってきました。 ゴールデンウィーク並みの気温だそうです。 こんな日に恋しくなるもの それは温かいボルシチにピロシキ 他にはジャムと味わうロシアンティーがあればいい。 何人ものお店の方が入れ替わり立ち替わりやって来られる。 どなたのネームカードも、お身内ばかり?と思うほど。 どなたも「加藤」さん。 アットホームなキャフェでした。 このキャフェ、創業者が加藤幸四郎という人で、旧満洲のハルビンで青春時代を過ごして、ロシア語を学び、ロシア文化に親しんだんだそうです。 当時のハルビンには沢山ロシア人やウクライナ人が住んでいたそうで、1957年に、東京でロシア料理店を始め、郷里の京都に店を創業したのは1972年。 その年、京都市とウクライナのキエフ市が姉妹都市となりました。京都市の薦めもあり「キエフ」と名づけたそうです。 創業者はもう亡くなりましたが、今でも加藤登紀子さんのコンサートは続いています。 そうです、彼女のお父さんが創業者なのです。 子供の頃、デビュー間もない加藤さんは京都市立加茂川中学校の出身だと評判でした。 p.s. 来たる 3月17日は加藤登紀子さんのコンサートがここであります。 第50回になるそうですよ。 #キエフ #加藤登紀子 #京都市立加茂川中学校